ヒッピーが愛したトカラ…諏訪之瀬島
地理的にはトカラの中心部にある諏訪之瀬島。この島は1813年の御岳大噴火により全島民が避難し、その後70年に渡って無人になってしまった島である。
現在でも噴火活動は続いており、白い噴煙を吐き続け、山肌は溶岩や火山灰に覆われている。
避難した島民たちは周辺の平島や中之島に移住してしまい戻る事はなかった。
新しく入植した人たちは奄美大島からの開拓団なので、文化的にはトカラの中でも一番新しい。
そんな諏訪之瀬島を語る上で外せないのがヒッピーである。ヒッピーとは1960年代にベトナム戦争中のアメリカの若者の間で生まれたムーブメントである。
戦争はもちろん競争全てに反対し、自然と平和と芸術を愛し「Love&Peace」を合い言葉に掲げ、人間として自由に生きるというスタイルである。ヒッピーは70年代に日本にも飛び火しブームとなった。そんな彼らが都会を離れて流れ着いた場所…それが諏訪之瀬島である。メディアは諏訪之瀬島をヒッピーの島として喧伝した。
なぜ彼らは諏訪之瀬島を選んだのだろうか?それは彼らの理想とするヒッピーコミューンを作り、当時諏訪之瀬島で進行していたヤマハのリゾート開発計画に反対するためだったと言われている。
彼らのファッションや生活様式は旧島民から見たら異様としか映らなかった。また村の議会でヤマハが進出する事を認めている旧島民からすれば、ヒッピーの開発計画反対運動は島の乗っ取りにしか見えず、またヒッピーの中でも思想に違いがあり、当然軋轢が生じた。
上っ面の脱都会組は早々と島を離れ、定住したいと思う人は、過疎高齢化の島の中で若い労働力として必死に働き信頼を得て、次第に島に溶け込んでいった。
彼らが反対したヤマハリゾートは、バブルの集結とともに撤退してしまった。ヤマハが造った飛行場は年に数回チャーター機が飛んでくるだけで、ほとんど無使用状態で島の南部に取り残されている。
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